こんにちは。「長崎の語り部から学ぶ会」代表の奥村志都佳です。

 

私は長崎市出身です。

けれども、こういった原爆の話を継承していく活動に

今までは特に熱心ではありませんでした。

そんな私がなぜこの活動を始めたのか・・・

ちょっとだけそのお話をしようと思います。

 

それは、2011.3.11

東北の誰もが忘れられない日です。

わたしたちも、大きな被害こそなかったとはいえ、被災しました。

電気は止まり、水道もガスも止まりました。3月とはいえ東北。

長崎の3月とは比べ物にならない寒さの中、

わたしたちはどうしようもない無力さと不安に震えていました。

 

東北には全国各地から多くの人たちが救援の手を差し伸べてくれていました。

自衛隊の方、警察の方、そして、電気や水道、

ガスなどのライフラインを復旧させてくれる方々。

そしてそれは、本当に小さな偶然でした。

 

あ、西部ガス!長崎支店!!

作業をしてくれた人の作業着の文字にわたしは目が留まりました。

 

長崎の人だ・・・

 

偶然?長崎生まれのわたしのところに、

ここ宮城で手を差し伸べてくれたのは長崎の人だった。

 

「直りましたよー、出してみてくださいー」

 

作業が済んだことを知らせる声は、懐かしい故郷の訛り。

 

そして蛇口から流れ出してきたお湯の温かったこと。

両手に受けて、その温かみが心までしみてきました。

ただ、なんでもないお湯。なんでもないお湯なんです。

ああ、ありがたい・・・

 

その思いは、わたしの中で静かに大きくなり、

長崎の人に恩返しをすること

 

東北の人に恩返しをすること

長崎と東北の橋渡しになれるわたしになること

いつしかそれがわたしの夢になりました。

 

震災はとても大変なことでした。

だけれども、みんな頑張って復興に向かいました。

その姿は、かつて長崎が受けた苦難と、

そこからの復興を目指した人々のあゆみと、

わたしには重なって見えました。

 

忘れないこと

語り継ぐこと

わたしがここでできること

 

それがこの「長崎の語り部に学ぶ会」の活動すべてです。

「こんね」とは、長崎弁で『おいで』『いらっしゃい』の意味です。

どうぞ、気を使わずにいらっしゃい。

平和ってなんだろう、幸せって、なんだろう

普段考えないでいることを、

ちょっとだけ立ち止まってみんなで考えませんか。

 

令和元年7月

長崎の語り部から学ぶ会代表 奥村志都佳

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